もーりーの徒然

福島県出身の27歳。英語学習、海外、読書、野球。アウトプットの場所。

㉟あの日から7年

1日更新するのが遅れました

 

先週の3/11は東日本大震災から7年ということで太平洋の向こう側から当時に思いをはせていました

 

当時僕は中学2年生でその日は1つ上の代の卒業式があり、早めに帰れたので友達の家でモンハン3rdをやっていました。14時46分に震度6の地震福島県郡山市を直撃。立つことは不可能で2段ベットに必死にしがみついていました。揺れが収まってから一階に降りてみると食器棚から落ちた皿が見るも無残に割れていて、それを横目に急いでチャリンコで帰宅しました。家の中はめちゃくちゃ。父親が1時間ぐらいしてから帰ってくると僕に1万円札を手渡し、食料を買っておくように言いつけました。その後学校へ戻らなければいけなかった父と離れ、僕は友達と通っていた小学校がどうなったか見に行ったりするなど、浮ついた気分で事の重大さを把握できていませんでした。

 

夜になって父親が帰宅したとき、僕は受け取った1万円札をポケットにいれたままでした。後にも先にもこの時ほど叱られたことはありません。泣く泣くスーパーへ行ってみるとすでに棚は空っぽで3千円分のお菓子を買って帰ることしかできませんでした。そしてマンションの水が止まったこと、津波でたくさんの人が亡くなっていることをテレビで目にし、そこでようやく大変なことになっていることを知りました。いわき市に単身赴任中だった母親はその日に帰宅できず翌日に帰ってきました。

 

その後はご存知の通り福島第一原子力発電所の爆発事故がありました。目に見えない放射線がどれほどの脅威なのかもわからず、車で福島を脱出し、千葉にあるいとこの家へ家族で向かうことを決意しました。そのまま授業は中止、春休みに突入し、その間ずっと千葉に避難していた7年前の3月でした。

 

振り返ってみると当時は全てが異常な毎日でした。ガソリンを給油するのに車で並んだり、高速は救急車両のために使えなくなっていたり、水はマンションの一階から運ばなければならなかったり。当たり前のように不自由なく暮らせている毎日が本当は何よりの幸せなんですよね。

 

当時のことを忘れずに日々感謝して生きなきゃいけないな、と思いました

 

さて、ここから盛り返すのは少し大変ですが毎週月曜日に行っているバイブルスタディについて書きたいと思います

 

キリスト教徒の人たちは聖書をそれは大事そうに扱い、ことあるごとに読み返してイエス・キリストの言葉や行動から日々自らを振り返ります。毎度言っていますが別に僕はキリスト教徒ではありません。宗教という日本に馴染みのない文化を肌で体感し、少しでも多くアメリカ人の生き方を学ぼうという所存です。

 

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こんな感じで僕の通っているファーストバプティストのメンバーと留学生がバイブルを読みながらストーリーとそこから読み取れることについて一緒に考えます。

 

大体毎回1.5時間ぐらいかな。最近読んだものではイエス・キリストが悪魔と対談したり、貧しい人々にほんの少しのパンでお腹を満たすなど内容自体もとても面白いです。

 

そして僕が使っているバイブルがこれ

 

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通っている教会から頂いた新約聖書です。中身は英語に和訳がついていて、文中に出てくる難しい表現でも理解することができます。

 

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ずいぶん長いことやってきたので教会に行くことも今では生活の一部です。敬虔なキリスト教徒は文字通り心にイエス様がともにおられるようで、非常に興味深いです。日本人の私たちとは生きる大義名分が全く持って違います。そして隣人愛という言うのでしょうか、敬虔な人ほど周囲に優しい人が多い印象も持ちます。

 

残りの期間も最後までキリスト教について勉強していきたいと思います~

 

さて、来週からは9日間の春休み!

 

また旅に出てきます!!