伸びた髪を床屋で切ってもらったら前髪がそろってしまって情けない感じになっております。しかしながら切ってくれたおじさんがこちらに来てから1,2を争うほど話が上手な方で好感度抜群。会話が上手いというのはスキルだなぁとしみじみ感じている日曜日です。
新学期1週目が終了しました
さすがにアメリカの大学生活も残り半分を切ってくると終わりを意識してしまう自分がいます。まだ今学期が始まったばかりとはいえ残り4ヶ月を切っていると思うと、日本にいる友人に会ったり、地元や東京へ帰りたいという気持ちもある一方で、80年以上過ごすであろう母国に帰る日が少しづつ近づいてきていることを考えずにはいられません。
余談はこのあたりにとどめて、今回は前からどこかのタイミングで取り上げたいと考えていた宗教について書いていきたいと思います
皆さんご存知かとは思いますが、アメリカにはキリスト教徒がたくさんいます。冬休みお世話になったベッキーやロジャーは特に敬虔なキリスト教徒ですし、僕の周囲のアメリカ人の友達も真剣度合いに差があるとはいえ多くがキリスト教徒です。
僕がアメリカに来た理由は何か特別学問を極めたかったからではありません。アメリカという地で約1年間生活し、この国の学生たちがどのような生活しているのかを知り、国に根差す雰囲気や文化といったものを五感で味わいたかったからです。日本の大学で英米文学を専攻したのも留学を見据えてのことでした。
そしてその意味で日本にそれほど馴染みのない宗教は学校で勉強するものとは別に僕の中で大きな興味を引くものとなっています。なのでキリスト教を勉強させてもらうために僕も毎週教会へ通っています。今日も行ってきましたが相変わらずたくさんの方がいらっしゃっていて影響力の大きさをひしひしと感じました。
日曜日は礼拝日なので多くのキリスト教徒が朝から教会へ足を運びます。大体の流れはこんな感じです。
09:00~10:00
皆がホールに集まって讃美歌を歌ったり牧師さんの話を聞いたりします。話の内容は聖書に書いてあるもの。終盤には小さなかごが回ってみんなそれぞれ寄付をします。
10:00~10:30
ホールの外に出てみんなで談笑。ドーナツやコーヒーも出るので朝食代わりに。
10:30~11:30
個室に移ってバイブルスタディ。僕たちの場合は約10人ほどが集まってその日のトピックについて聖書を読み進めながらディスカッションをしたりします。
別の地域の教会も行きましたがだいたいこのような流れになっています
僕が思うに教会という場所は2つの意味で人々の「よりどころ」となっているように思います
1つは聖書を通じて彼らの崇拝するイエス・キリストの教えに触れられるということ。これは教会に足を運ぶ当初の目的であり、いうまでもありません。
そしてもう1つ大事なことは仲間たちとともに素晴らしい時間を共有できる場所であるということです。少なくとも週に1回は友達に会えるというとわかりやすいでしょうか。そこには「今週何してた?」というたわいもない会話から、心を開放して歌を歌うということであったり、友人たちと聖書について議論するという勉強の側面まで幅広く楽しい要素が凝縮されているのです。特に教会には多くのお年寄りの方たちがいらっしゃいます。日本のおじいちゃんおばあちゃんに比べると、周囲との結びつきが非常に強い印象を受けます。多くの教会には体育館が併設されていて、学生たちがスポーツをする場にもなっています。
僕がこの環境に生まれ育ったらむしろキリスト教徒になるのは自然なことだなと今では納得してしまいます。よくアメリカ人に「何を信仰しているの?」と聞かれて当たり前のように「神様は信じているけど特定の宗教に属してないよ」というと、変な顔をされます。それくらい彼らにとって宗教というものは崇高で心にしっかりと根差したなものなんですよね。
そしてキリスト教徒の中には日本人にはあまりいない本当に素晴らしい性格の持ち主の方を数多く見かけます。いったいキリスト教とは何なのでしょう。
これからも教会とクリスチャンから目が離せません