※今回は最後に特別付録があるからぜひ最後まで読んでね。
帰国してから文学史について勉強する機会があったので、片っ端から日本文学を読み漁っていました。本は常に読んでいるのですが、恥ずかしながら誰もが知っているような文学作品をあまり読んでいなかったので。
というわけで、今回は夏目漱石の『吾輩は猫である』を紹介します。
実は猫にチャレンジするのは今回が2回目なのです。前回読んだときにはあまりにも面白くなくて途中であきらめました。面白くないというより、読者側にそれを読みきるだけの語彙力も気力もなかったのです。しかしようやく最近になって、この年にもなって猫を知らないのはマズイ!という危機感から何とか読み切りました。
今回読んだのは新潮文庫が出版している文庫本なのですが、語彙力に乏しい僕からすると、読み切ったとはいえ辛抱強さが必要でした。それもそのはず、全体で600ページのうち、後ろ50ページは解説だったのです。大げさな表現をすれば、電子辞書を片手に勉強していた感覚です。
物語は主人である中学校教師の苦沙弥先生(くしゃみせんせい)を中心とした日常世界を、一人称が「吾輩」の名もない猫が憂えるという内容となっています。漱石は猫の視点で滑稽な人間模様を語らせることで、社会批判を描いたとされています。
そんな作中で僕が最も好きな箇所は
“ ――よろしい、とにかく人間は愚なものであるから撫でられ声で膝の傍へ寄っていくと、たいていの場合に於て彼若しくは彼女を愛するものと誤解して、我がなすままに任せるのみか折々は頭さえ撫でてくるものだ。”
という部分。
特に猫を飼っている人には経験があると思います。普段は別の部屋で寝てばかりいるのに、ゴハンや遊んでほしい時だけすり寄ってきたりするアレ。まぁ、それがまた猫の可愛いところなのでしょう。完全に親バカですね。
読んでみての感想は・・・
読み切った!という達成感でしょうか。とにかく長い戦いでした。僕にとってはもう一回読みたい!っていう面白さではなかったですが、昔の文豪たちが使う言葉は簡略化せずに細部にわたって表現するという点で素晴らしいなと感じました。そういう意味では教養としても一通り有名どころを押さえておきたいです。
ではお待ちかねの特別付録
実家で飼っている猫のグラビア写真です
家族が出かけようとするとそれを阻む猫
洗濯カゴに入る猫
母親のバッグに入る猫
下界を見渡す猫
母親の背中に乗る猫
それではまた