「戒めを破る」と書いて『破戒』。島崎藤村が書いた近代日本文学を代表する作品『破戒』を今週は読みました。大学で教職を取っており、ある教授が読んでおけよ~と言っていた作品です。
「穢多」という言葉を学校で習ったと思います。中世以前に病死牛馬の処理や獣皮の加工といった、当時でいう「穢れ」仕事に従事してきた人たちのことです。もともと士農工商の下に位置づけられた彼らは、明治維新に四民平等というスローガンのもと身分制度が廃止されたことでその権利を回復したかのように思われました。
ところが周囲からは「新平民」と揶揄され、依然として迫害される生活を強いられたのです。
主人公の瀬川丑松(せがわうしまつ)はその献身的な仕事ぶりで、生徒たちからの評判を集める小学校教師です。しかし、彼が抱える隠し事こそ、元穢多という身分で実は被差別部落出身という経歴なのです。
この本のタイトルにある「戒め」とは、外ならぬ父に言い渡された「決して素性を明かすな」というものでした。
しかし、そんな彼にはあこがれる人物がいます。地域政治家の猪子蓮太郎(いのこれんたろう)先生です。彼は丑松と同じく穢多の出身ながら、それを周囲に公言するも、そのカリスマ的な指導力で身分制度を感じさせない人物です。
丑松自身は身分を隠していますが、素性を明かす猪子先生の魅力にとりつかれ、彼の著作をなめるように読破するのです。縁あって直接会うまでにその距離は縮まるのですが、先生は丑松が元穢多ということはいざ知らず、彼は先生にだけ素性を明かすべきか苦悩します。
そしていよいよ猪子先生の壮絶な最期を機に、彼は一大決心をして・・・
と、これ以上書くと本当にネタバレになってしまうのであらすじはこの辺までに。
100年以上前に書かれた作品ですが見ているこちら側がハラハラするだけでなく、差別というものについて非常に考えさせられました。
社会にはあらゆる差別があります。身分、人種、性別、宗教・・・などあげるときりがありません。この本を通じて考えさせられたのは、差別されている人を目の前にしたときに自分はちゃんと正しい判断を下せるかということです。
もっというと差別に限らず、あらゆる議論に理由付きで正しい判断が下せるようにありたいと思いました。自分がたとえ少数派であったとしても、自分で考えて、自分で決断し、自分で行動するということが大切なことですよね。
支えてくれる周囲の人に感謝しながら、自分の人生は自分で決めたいものだなぁと思っています。そしてそれは本当に幸せだということを忘れないようにしたいですね。